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劇場版『虐殺器官』

オタクというのは、なんというか本当に、悪い生き物である。

いきなり主語が大きくて申し訳ないが、これに関しては概ね同意してもらえると思う。特にSFというジャンルに群がるオタクのタチの悪さは、見聞きしたことのある人が多いだろう。

そして最大に”悪い”のが、インターネットやSNSを活用して群れていき、作品を真っ当に見つめることを放棄し、独自の気持ち悪い文脈で消費しようとする、若いオタクたちである。

つまりは、ぼくたちである。

だから、まだ公開初日の内に、変な消費のされ方をされてしまう前に、正面から向き合った評価を与えておきたい。もちろんこれは総意ではなく、私個人としての評価である。

 

もう押しつぶされてしまいそうなのだ。

 

「地獄はここにあるんですから」を笑いのタネにしてしまいたい。

「いつかチェコ語で、カフカを読めるようになりたいな」ってけらけら笑いながら友達と喋りたい。

一人称を”ぼく”にして語り始めたい。

 

だから、自分のためにちゃんと書いておきたい。

劇場版『虐殺器官』は面白くなかった、と。

もしかしたら私はもう押しつぶされているのかもしれないけれど。

もしかしたらこんな試みは、もうとっくに遅すぎたものになっているのかもしれないけれど。

 

 

劇場版『虐殺器官』感想

はい、ということで『虐殺器官』を観てきました。

始めにお断りしておきますが、このブログ記事は伊藤計劃の原作及び本劇場版のネタバレを含みまくります。気持ち悪い前書きを超えてここまで読んでいらっしゃる方であれば問題はないかもしれませんが、一応注意はしておきます。

また、私は『屍者の帝国』及び『ハーモニー』の映画化作品を観ていないので、それらと比較することはできません。予告の段階でダメな香りがして、観に行けませんでした。

 

さて、『虐殺器官』です。

私は原作は何度か読んでいますが、最後に読んだのは多分3年くらい前です。だから、細かいディティールは結構忘れています。その上での感想ですが、一言で言うとこの映画は、とにかく、空虚です。

 

本作の難点

原作の『虐殺器官』は「語り」が大きな特徴になっています。一人称で進む物語、モノローグ、それゆえに発現する”信頼できない語り手”の構造etc...... その辺りは詳しいお兄さんがいくらでも詳しい解説をしてくれると思います。

私が特に違和感を覚えたのは台詞。中2の頃の私を揺さぶった魅力的なセリフの数々が、どうしてここまで上っ面を撫でるだけの音の集まりになってしまったのか。

冒頭、何の積み上げもなく『地獄はここにあるんですから』と言うセリフが発せられた時、私は心底寒気がしました。これはキッツイな……と思わず口走りそうに。 

ルツィアとの会話に至った時は、笑いをこらえるのに必死。この時点で私はこの作品とまっすぐ向き合うことをやめてしまっていましたし、如何にして斜に構えた感想のツイートを投下しようか、そんな馬鹿らしい考えが頭の中でぐるぐる回っていました。

「音楽は脳をレイプする(ごめんなさい、これはちょっと言い方を間違えてるかも)」とか確かに印象的な言葉だけどさ、それ今回のストーリーで言う必要あった?

個人的には、やたらと響きのいい数々のセリフやモノローグは封印して、普通の喋りにした方が良かったと思います。

エンタメに振り切ることはできない。原作に忠実であれ。確かにその姿勢は多くの媚びた作品とは一線を画すのかもしれません。が、それは別の文脈で”媚び”てるのではないですか? しかも私たちのような層に媚びようとしたのではないですか?

これはよくわからないのではっきりとは書けないですが、声優目当ての人は得したのかな

あの語りが成立したのは、テキストだから、そんな気がしてなりません。普段の話し言葉と映画やアニメ中での話し言葉は異なるし、文章中の言葉となれば、その差異はさらに拡大するのは当たり前の話で。

”リアル”の線引きをどこに引くか。

 

ストーリーもちょっとわかりにくい。特に序盤。もし自分が原作読んでなかったら、多分何が起きてるのかすらよくわからなくて、寝ちゃってただろうな。

そしてストーリーで最大に無理があると感じたのが、クラヴィスとルツィアの関係性です。これは多くの人が疑問符を浮かべたのではと思います。母の要素を取り除くと、ルツィアを亡くして呆然としてるクラヴィスの気持ちが全くわからない。

「ルツィアはどこだ」えっ、いつの間にそっちが目当てになってるの。

「大切な人の死体は物に見えないなんて」いやいやいや……

 

「好きな作家の話で盛り上がれる相手となっちゃ文学青年なんてイチコロよ」的な感想も見ましたが幾ら何でも暴論が過ぎる。

 

じゃあ、映像面は? これも色々と苦労や工夫は見えるんですが、正直お金かけたんだかかけてないんだかよくわからないな、というのが正直な感想です。アニメーションは本当に詳しくないので印象にすぎないですが、そういう風に見えてしまいました。

 

エンドロールのEGOISTは知らん。

 

終わりに

この作品が好きか、嫌いか。この感情は間違いなく自分の感情だろうか。

映画を思い出して、Twitterでの友人の反応を見て、感想を書こうとすればするほど、わからなくなってくる。

 

もし、思弁的な要素も痛みもないただスタイリッシュなだけの戦闘、爆音で流れるブードゥー・チャイル、そして画面いっぱいに『虐殺器官』というタイトルが爆裂する。そんなバカ丸出しの映画だったら「うぇーい、300億点!」とか言いながら嬉々としてネタにしていたかもしれない。

それができない。作り手は頑張ったんだろうな、と思ってしまう。

だからこそ、悲しいし、虚しい。